2015年4月5日日曜日

雑感

 ま、何を特別に云々は言いませんが、仕事なるものの在り方で、実行者間のみの取り決めがある事はやぶさか以前に、当たり前と考えるべきだと思います。が、間接的に接するパートには、必ずなんらかの確認が必要なのでは?と。
 むしろ、その作業を怠る事でロスが発生する場合、まして自分の予想外の対応のためのシステムがそこにある(現況の大元の可能性が高い)場合、何故その環境が存在するか、走り出す前に考えないものか?と。

 過去完了形を経験談として聞く場合、重要なポイントは幾つかある中で、何処を完了、完成とするか。ここの判断次第で今取り組んでいる内容が大きく変化するどころか、全くの無駄足にすらなりかねません。

 ホウレンソウってものは、その道筋確認を含めて重要な作業だと思ってますし、それを必要としない状況には、膨大な時間と経験が必要だと思うわけなんですよ。

 もう一点、過去完了形の場合は、責任の所在云々に加え、何時の経験か?
バブル時代の成功、まして経験談ほど疑わしいものはないな、と。

 先日からの流れで、明確な差が生まれる原因の一つに、時間と金に対する正確さが大きな明暗をわける、この点で色々と考えさせられる出来事が重なりましたもので、書き綴った次第です。

 出来る方の在り方とは、常に丁寧で正確であり、真摯である。常々そうありたいものだと思いつつ…


難しいもんですね(⌒-⌒; )