2016年3月19日土曜日

からあげ屋 高砂閉店

ここの店長の山北君と知り合ったのは、彼がまだ独身で、しかも博多駅の裏通りにあったバー香織里(かおり)に勤務していた頃の話。当時の博多駅界隈ではダントツの多忙さを占めるべく、その広い店内には所狭しと背広組みがわんさかと押し寄せては引く、荒波行事の毎日だったことを記憶している。もっとも、かれは店長として勤務しながら、片手間に色々なことに手をつけながら、それでも従業員は中国人の留学生スタッフも含め、結構な数が揃っていたように思う。それもこれも、彼の人柄あっての話で、決してバイト代がよいという話ではなかったような気がする。

 毎年夏に開催している「モヒートナイツ福岡」にも参加、博多エリア長としての任を担当。過去最高記録は月産4桁以上!ビール代わりの推しで仕留めた数字とはいえ、なかなかはじき出せるものではない。これも彼の人柄だろう。当時は私も運営補佐として色々な場所に顔を出していた身ではあるが、ここほどのザワメキは他店では無かったように記憶している。

 程なくして、店の方針が変更。彼は雇われの身であったため、退店。同時期に数名が抜ける形となり、続くように退店の波が押し寄せ結局閉店に。この間、彼はすぐ近くでちょっと小出しの店を経営していたが、これはこれでなかなか難しい問題が多かった。程なくして井尻に某御大が店を出す話が浮上し、その前進でもないが高砂で「からあげ屋」として開店することなったわけである。

 正直な話、最初の設定が難しいものは、キャリアと言うものが無い以上は安定しない。試行錯誤とは、基礎があり、基礎技術の理解出来る状況からはじまる物であって、専門外の分野は往々にして困難を極める。ま、この間の苦労話は本人が一番よくわかっているので、興味があれば聞いてみて欲しい。一昨年ぐらいから店の方向性が少しずつ変化し、今の状況になりつつあるころ、近所の専門学校生達の溜まり場的な場所になったり、サラリーマンの愚痴の場であったりと、普通の様相をなしてきたように感じたわけだが、何を考えたかは不明。とりあえず新天地での活動の報告を受ける。当然、店は閉店なのだが、そこはそれ、次の店主が決まっているという、何とも流れ作業的な展開は、良し悪しの判断に迷う。

 平日の休み、彼は身障者水泳クラブでの指導要員も兼任していたらしく、選手の中にはパラリンピック候補がいたらしい。色々な事でまめに顔を出し、露天情報などにも詳しいだけに、彼の移動を惜しむ声は少なくない。が、引退ではないし、隣の県での活動と報告が入っているので、時期が来れば詳細がわかるであろう。

 最後に、ここの名物チキンカツのギガ盛というメニューがあり、最終日に隣の席で黙々と食べていた方が、最後の完食者となった。ちなみに私は初代チャレンジャーであり、初代敗北者でもあったのは、若気の至りであると書いておく。

 長いようで短くもあり、色々とありがとう。率直な感想で言えば、信頼あるメンバーの門出を祝うのは義務なのかもしれないが、やはり寂しさは残る。最終日だけで色々な関係者顔を出したようで、彼に対する律儀さと信用の表れだと思う。お疲れ様でした。そして続きはまた、新天地で。

次期店主の大倉氏のヘルプ姿。この日は異様にパスタが出ました♪






次の店ではこんな感じのメニューが出るかも?ですって。
お楽しみに。